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京都教区センター教会
配信礼拝 説教要旨綴
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第54回 2021年6月20日 聖霊降臨節第5主日
 
『魚(イクテュース)を待つ』 イザヤ書40章 28〜31節 ローマの信徒への手紙 8章24〜25節

 
 ぶかぶかの黒のゴム長靴姿の古い写真がある。近所の大学院生がご自慢のカメラで撮ってくれた。季節は梅雨である。むっとする梔子の花の香りに包まれた六歳の『はにかみ』がいじらしい。
 撮影の場所は、大学の研究所である。行儀の良い私は大学院生のペットだった。実験器具のある研究室への出入りは自由だった。そして、広い敷地は町の中にあるビオトーブであった。大学院生が触らせてくれた顕微鏡の世界や昆虫や植物の生態に好奇心が追い付けないほどであった。梅雨が明ければ、夏休みの始まりと同時に誕生日が待っていた。だから、梅雨は、大好きなのだ。
 山に雨が降り、小川が出来た。まるで、天地創造だ。くまの子が駆け足でやって来る。くまの子の心を動かしているものは好奇心だ。いや、アダムとエバの前にあるリンゴの木かも知れない。くまの子は、魚がいるかと川底を覗いてみたが期待外れだった。水を一口飲んで仕切り直し、もう一度覗いてみたが魚はいない。それでも、葉っぱの傘をさして、『いない魚』を待った。
 作詞者の鶴見正夫さんは、脱サラをして物書きになったが、長く鳴かず飛ばずであった。ある日、自分の子どもが雨上がりの水たまりに戯れているのを窓越しに見てこの曲を書いたと言う。子どもたちの喜ぶ大ヒット曲となった。
 初代のキリスト者たちは、迫害の危険を避けるため地下墓所に集まった。薄暗い場所から陽の当たる場所の礼拝を待ち望んだ。信徒たちは、二本のカーブした曲線を用いて互いを励ました。何気ない『ののじ』を書くふりをしながら『魚』の割り印を連帯の証とした。
 『魚』のギリシア語5文字の頭をMMK(もてて・もてて・困る)風に当てはめると、『イエス・キリスト・神の・子・救い主』となる。それらしい雰囲気の者同士が街角で会うと、一人がランダムな線を地面に書く。一本だけ曲線が混じっている。もう一人が曲線を足して『魚』にするのである。待つことの意味を噛み締めたい。



第55回 2021年7月18日 聖霊降臨節第9主日

『錨をおろして』 ヘブライ人への手紙6章17〜20節

「後宮が大切にとっておいたものです」。大住世光教会、正確には大住世光伝道所の第一号週報を後宮松代さんから頂きました。発行日は、1961年(S31)1月6日、伝道開始5年目にしての快挙でした。「聖寵のもと宣教の業を推し進めたい」。故・榎本保郎牧師の意気込みが報告欄に記載されています。故・後宮俊夫牧師が保育園園長・主事として榎本保郎先生の薫陶を受けていた頃の記録です。昔話をしようとしているのではありません。同週報には、へブル書を引用して、『宣教の今』を週間目標に掲げています。
へブル人への手紙は、信仰生活の十年一日を否定、生理的に嫌っています。指摘は的確です。『基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう(6;1)』。耳の痛い言葉です。今日の教会の現実を前にして返す言葉がありません。へブル的一般教養の安全地帯から一歩も外に出ることなく、神の『約束』と『誓い』が信仰者の『今日』になっていない顕著な例が挙げられています。不明を恥じる信徒の心のありようが、まさに、こころが、コロコロしていると言うのです。
本書は、希望は魂の錨だと教えます。『錨』と言えば、それは海の人間(オトコとは言わない)のバッジです。Deine Heimat ist das Meer.(お前の故郷、死に場所は、海だ)。敬愛する後宮俊夫先生は、錨のバッジの人でした。武装した政府の役人でしたが、九死に一生を得て命の針路を舵一杯、転回を自身に命令しました。ヨーソロー!。
「牧師言うてもやな、君みたいに神学校で勉強しとらん。素人や」とよく言われましたが、決して、先生は、初歩の繰り返しに留まる人ではありませんでした。神の『約束』と神自らの『誓い』を励みとした牧師でした。
『錨をおろす』、定錨を心理学用語で『アンカリング』と言います。錨は水面下にあります。見えない錨に誘導されている状態を指します。後宮先生の遺影は、アロハシャツ姿でした。平和を愛する人の正装です。先生は、戦艦の錨に縛りつけられた亡霊のような生き方から、魂に希望と言う名の錨を打ち込み、階級章不要の、ひとりの人として、安息を知る人となったのでした。




第56回 2021年9月16日 聖霊降臨節第18主日 

『休ませてください』   出エジプト記20章8〜11節

 「ドーやん! コンベヤー止めるんや!」。ドーやんとは、同志社の学生のことである。「ボンボンがこんなとこでアルバイトかいな」。パン工場の夜勤である。夜の八時から明け方の五時まで働いた。学生生活が二週間で行き詰った。『人はパンのみによって生くるにあらず』。働くならパン屋だ。パンを作ったのではない。販売店ごとに仕分けたパンを車に積み込みドライバーに渡す。夜勤者たちは自らを世間様の陰にいる者だと言い、それ以上を語らなかった。猛烈なスピードでパンを仕分ける。木箱に詰めたパンを2トン車50台に積み込めば口も利けない。誰かが倒れた。コンベヤーのスイッチなどどこにあるか分からない。コンベヤーの上に身を投げ出して止めた。「ドーやん、ようやった」。
 倒れた男は普通の会社員らしい。身内の借金を背負っていた。華奢な体つきであった。夜勤者たちは、夜間の管理が班長さん一人を良いことにコンベヤーのスピードを上げた。早く終われば花札の楽しみがある。野卑な言葉を喚(わめき)き散らしながら作業に景気を付けた。勝新太郎の映画『兵隊やくざ』のシーンさながらだ。規律の緩んだ最前線の兵隊と言ったところだ。倒れた男は、寝ていないと言う。二年ほど休みを取ったことがないと言う。ふらふらと立ち上がった。「ワシら調子に乗り過ぎとったな」。「悪い事したな」。「堪忍やで」。「すまんかったな」。クレープシャツの袖から彫り物がチラチラする男がその場を仕切った。ドーやんは、コンベヤーの上のパン箱に挟まったままだ。
 アウエイの成功者ヨセフの顔で、神の民は寄留の場を得た。ヤコブの一族は七十人に満たない心細い集団であったが四百年後にはその数を六百万人近くに増やした。ヨセフの死後、王が変わり、看過出来ない不穏勢力と見なされ民は奴隷となったが、その時には約束の地への移動を十分に可能とする力を蓄えていた。神は、エジプトを脱出し荒野を彷徨う民を導いた。神はその指をもって民との契約を石の板に刻んだ。契約の対等性が問われる事はなかった。主の民は、もはや、疲労困憊して倒れることはない。安息の日を定めた神は、コンベヤーの前に崩れ落ちた夜勤者の事情を余りにも哀れとしたのである。
三十八年も病苦に苦しんだ男に向かってイエスは、「床を取り上げて、それを担いで歩け」と言った。石の板の契約を笠に着たエライ学者たちが、悪意をもってその行為を責める。床を担ぐのは安息日の規定に反する『労働行為』だと非難する。預言者ハバククは、『その幻を走りながらでも読める木の板に書き記せ』と檄する。砂漠の民に与えられた十の戒めを、イエスも石の板から運用軽便な木の板に書き写した。イエスの福音は、高スペックのモバイルノートなのである。       





第57回 2021年10月17日 聖霊降臨節第22主日 

『そこまでせんでもええやろ』   マタイによる福音書25章26〜30節 

 「それを、仕事に活かしなはれ」。「ノウあるタカはヘソ隠すちゅうやろ」。「それも言うなら爪や」。「へー、そお」。「ヘソの洒落かいな」。休憩室が笑いの渦に包まれる。野本班長ことノモやんは、器用にサクランボの茎を口の中で結んだ。「それできるもんはキッスも上手やてな」。初心(うぶ)なノモやんは耳まで顔を真っ赤に染めた。パートのおばちゃんたちの追及は激しさを増す。
 イエスは天の国を金儲けの世界にたとえる。カネの話は分かりやすい。少なくとも、イエスの周りに集まる人たちの理解度に無理がない。見たこともなければ、手にしたこともない大金の話にビンボウ人たちの聴力が増幅する。イエスは、天の国を浮世離れさせない。使用人たちに託されたタラントンを徳や功に擬(なぞら)えたりもしない。五タラントンを元手にして十タラントンを、二タラントンも同じくして二タラントンを稼ぎ出した使用人たちを主人は褒めた。しかし、主人は奇妙なことに、使用人たちの命懸けの大金の管理を等しく『僅かなものに忠実であった』と評定する。耳蛸鼻高解説を参考にすると労働者の平均日当1デナリオンの6000倍が1タラントンであるらしい。相当な大金なのに使用人に託したカネを僅かなものと言う。この主人は相当な資産家であると同時に見上げた成功者である。ところが主人は、資産を運用をしなかったと言う理由で一タラントンを預けた使用人を完膚なきまで叩きのめした。
芸能人をタレントと呼んで久しい。タラントンは、通貨の単位だけではなく才能や能力も意味する。ビンボウ人たちは、一タラントンを土中に隠した使用人の小心を叱る主人を理不尽と感じなかった。イエスの話にビンボウ人たちの溜飲が下がった。なぜだろうか。一タラントンを託された使用人とは、イエスの周りに集まる人々を日々苦しめる既得権益者たちと直感されたに違いない。ローマ帝国の走狗(そうく)である貴族や政治家、律法を私物化した慢慢的(マンマンデー)の祭司や学者たちを神に成り代わった主人が『怠け者』呼ばわりしたことに胸のつかえが下りたのである。禁じられた園の果実を食べた人間の丸裸が嘲弄されたのである。容赦がない。
『そこまでせん。でも、ええやろ』。タオルを投げる者もいない。
ノモやんが天寿を全うした。ノモやんは、生涯その爪をむき出しにすることはなかった。キッスの下手なノモやんからもっとキッスの下手なパウロの言葉を言付かった。
 
『きよい接吻をもって、互に挨拶を交わしなさい。キリストのすべての教会から、
あなたがたによろしく』   ローマ人への手紙16:16 (口語訳)   




第58回 2021年11月21日 降誕前第5主日

『亀は愛である』   マタイによる福音書25章34〜36節 

 「センセは命の恩人です。危ないところ助けてもろうて」。何のことか分からない。「お通りにならんかったら、わたし、今、ここにはおりません」。息が荒い。ますます、分からない。間もなく礼拝が始まろうとしている。こんな時に。
その女性信徒は、昨夜、リアルな夢を見たらしい。車を運転していてカーブを曲がり切れず崖下に転落したが、木の根に辛うじて車の後部が引っかかり、深い谷底を見下ろす形で車ごと宙ぶらりんになったらしい。絶体絶命。車の重みに木が耐えられなくなり、あわや車もろとも。その時、崖の上を通りかかった私が救出したと言うのだ。『遅かったじゃないの!』ってハリウッド映画の女優みたいな台詞を決めませんでしたかと返して礼拝堂は爆笑の渦。時間通りに礼拝は始まった。
手錠姿の顔見知りの人がテレビのニュース画面に大写しになる。あの人だと妻が言う。留置場へ面会に行くべきか。獄中の人は、イエス本人であると聖書は教える。なんと、非現実的な教えだろうか。親族ならまだしも趣味の会で顔を合わせる程度の人に『遅かったじゃないか』の一言を得る行動をとるべきなのだろうか。崖下に助けを求める女性信徒を救出したように。
 妻に先立たれて後、息子も病死した。生きる望みを失った靴屋のマルチンの教会への足は遠いたが店の前を通り過ぎる人たちへの関心は薄れなかった。マルチンは、イエスの声を聞く。「今日、お前のところに行く」。店の前を通りかかる雪かきの老人、赤ん坊を抱いた貧しい母親、リンゴを盗んだ男の子との寸劇が始まる。マルチンは、それぞれの事情に深く関わってしまう。そして、イエスの来訪が無いままの一日が終ろうとする。空耳だったのかと落胆するマルチンに声があった。「マルツン、マルツン、あれはみんな、ワタスだったのだ」。ざわめきが起こる。「誰の声やろ?」。畳掛けるように、極めつけの津軽弁が舞台奥から響きわたる。「亀は、愛である!」。「園長はんの声や!!!」。リンゴを盗んだ少年を演じた小柄でお茶目な女性入居者が何度も何度もカーテンコールに応える。経費老人ホームなる施設名が耳新しい時代のクリスマスであった。
 『主よ、いつわたしたちは、・・・(中略)・・・いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか』(25:39)
 難儀をしている人の夢の中に現れて救いの手を差し延べる。あなたに助けられた言われても困惑するばかり。天の国へ道は、それほどまでに善行の記憶から程遠い人に開かれているのかも知れない。




第59回 2021年12月19日午後5時 待降節第4主日 

 『編機と乙女の祈り』   ルカによる福音書2章1〜7節 

「これこ〜れ、石の地蔵さん、西へ行くのはゴリラかえ〜。ダイコ(大根)安いで」。買い物客で賑わう駅前商店街は、もはや戦後ではなかった。八百屋のおっさんは、美空ひばりの花笠道中を訳の分からない替え歌にして客を呼ぶ。天井から吊るした笊は銭で溢れている。『市場』と呼慣らされた商店街は豊かな新年を迎えようとする買い物客でごった返していたが、雑踏の中で少年の心と体は冷え切っていた。正月の食材とはいえ気後れのする買い物を言い付けられていたのである。貧しい買い物籠に溜息が出た。
少年の両親は漂流者であった。互いの似た境遇が景気の良さそうな町で所帯を持つ夢となった。ふたりは故郷を離れた。正真正銘のハイマートロス(Heimatlos)となった。手に付けた職が全てであった。母親は平賀源内の孫から厳しい行儀作法を叩き込まれ、裁縫を習得した。洋裁や料理も得意であった。父親は大陸で理髪師の技術を磨き社交界の専属となった。共に尋常高等小学校を級長で通したが複雑な家庭環境がそれ以上の教育を許さなかった。
戦後の混乱の中でふたりは出会った。晩婚であった。ふたりは『市場』で商売を始めようと財を蓄えた。身に付けたプロの技術がそれを可能とした。ソフト帽にロイド眼鏡。ツイードのコート姿の父親。母親と揃いのギンガムチェックのシャツ姿が聖母子を思わせるような一歳の誕生日。ふたりの漂流は終わろうとしていた。小さな借家は、キリシタン大名高山右近の城跡近くにあった。
身重のマリアをロバの背にヨセフは、ナザレ村から140キロの山道をベツレヘムへと向かう。ナザレ村は標高400メートルにある。ローカル的な表現をすれば、一休寺を見下ろす甘南備山の倍の高さである。ベツレヘムの町は、甘南備山の三倍を優に超える。聞き齧った知識ではあるが、江戸時代の東海道は新京極や心斎橋の賑わいに同様の混雑であったらしい。皇帝の命による本籍地への命がけの旅は、人の切れ目がない歩く満員電車状態であったであろう。ベツレヘム到着も安堵の時ではなかった。宿無しの悲哀が聖家族の振り出しであった。
『余所者としてやって来て、余所者として去って行く』 (冬の旅より)
少年の父親は『市場』へ参入を目前にして軍隊時代の古傷が悪化し長い入院生活を余儀なくされた。母親は蓄えた開店資金を夫の命に代えたが、賑わう歳末の商店街への遣る瀬無さに少年の心を苛んだとしても漂流者の矜持は何ひとつ損なわれることは無かった。父親不在の母子家庭に世間は決して優しくはなかったが、夜なべの編み機の往復運動の音が降誕の場に馳せ参じた羊飼いたちのざわめきに、真空管ラジオから流れる『乙女の祈り』が夥しい天使の群れの讃美に、あるはずの無い記憶として少年の心に重なる。





京都教区センター教会配信礼拝 説教要旨

第60〜69回




第60回 2022年1月16日午後5時 降誕節第4主日 


『兄弟舟とおやじの湖(うみ)』  マルコよる福音書1章14?20節

「これ、どんなふうに食べたらええんでしょうか?」。三つ揃えのスーツを買った。立派な身なりが癖になった。怖い者知らずとなった。ブルーグレーという色だった。今にして思えばドブ鼠色だったのだが、細身の体系にぴったりしていた。ネクタイも王室の紋章が鏤(ちりばめ)められていた。これなら何処へでも出て行ける。経済学部新卒者歓迎会の案内状が来た。豪華なホテルが会場だった。乾杯前に牧師の祈りがあったが、会場のノイズにかき消された。騒がしさの中に新卒者を探してみたが一人も見当たらない。成功した経済人ばかりだ。居心地が悪くなってきた。フォークやスプーンがズラリと揃えられたテーブルに怖気づいた。
「これ、どんなふうに食べたらええんでしょうか?」。隣席の爺様に尋ねた。「好きなように、食べたらええのや」。何んとも力の抜けた柔らかい声だった。「退屈やのう」。お歴々のスピーチの間、爺様ととりとめない会話を楽しんだ。会場内の偉そうな人たちとは違った関西弁丸出しの好々爺が誰であるのか知る由もなかった。「汝の敵を愛せよ。本日お招きした講師先生は、真珠湾攻撃、空襲部隊総指揮官、淵田美津雄大佐であります!」。ブラウン管テレビ口調を真似た司会者のアナウンスがあった。隣の爺様が席を立った。ありゃま。これは一体どうしたことか。
ペテロも迫害下にあってパウロの薫陶を受けた若きエリート伝道者たちと食事を楽しむ場面があったと思われる。およそインテリジェンスなるものから程遠い風貌やレスラーのような体形がペテロ教皇様であることに気付かず、己の不明を恥じた若造もいたことであろう。
ペテロと兄弟アンデレ、連れの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネは、ガリラヤ湖で網を打っていた。長半纏の粋なお兄さんたちであった。雇人までもいた。
ガリラヤは都から離れた田舎であった。蔑視もされていた。しかし、それに頓着するガリラヤ人はいない。赤毛のアンの舞台になったプリンスエドワーズ島を彷彿とさせる豊かな自然があった。豊かな自然は、啓示宗教のアンチかも知れないが、それが何だと言うのだ!
ペテロたちは、イエスに目を付けられた。睨まれた。『ご覧になった』とある。おやじの湖(うみ)に浮かぶ兄弟舟を捨てろと命じられる。人間を獲る漁師になれと迫られた。漁師は魚の味を知っている。塩辛の味も知っている。年代ものの鮒寿司もあった。ガリラヤは、人の辛苦を身に染みて知る土地柄である。言葉の訛りが人の警戒心を解く。
『好きなように食べたらええのや』。 
ペテロたちは、復活の主に、再び、ガリラヤで出会う。





第61回 2022年2月20日午後5時 降誕節第9主日

『カファルナウム霊験記(れいげんき)』  マルコよる福音書2章1?5節

「今日で三日目やな、関東炊き」。「なんか文句あんの」。「いや、非常に経済的やなちゅうてるだけや」。ある老夫婦の夕餉の会話のようだ。一週間続くかす汁もあるだろう。「ムカシ、おでんにコロちゅうの入っとったな。壺坂霊験記のあれ、あれや」。「またヘンなこと言おうとしてるわ」。「妻は夫をいたわりつつ、夫は妻に慕いつつぅ。頃は、六月、なかぁのぉコロッ。夏とはいえど片田舎」。「橿原神宮前から吉野線ですぐやから、コロナ明けたら桜でも一緒に見に行ってやってもええよ」。
純愛を貫いた沢市、お里が聞いたら呆れるような夫婦の会話だ。ルルドの泉であれ、壷坂寺であれ、霊験スポットには理屈がない。名所となってしまえば七五三(シメタ)たものである。十一面観音の霊力が座頭沢市の目を開いた。壺坂霊験記は浄瑠璃や浪曲として演じられ一世を風靡した。1875年の作である。作り話である。盲目の沢市が、お里の密かな外出を浮気と邪推するところから物語が始まる。お里は沢市の目が見えるようにと観音に手を合わせていたのである。それを知った沢市はお里に心から詫びてお参りに同行する。しかし、お里が目を離した隙に、己が妻を不幸にしていると思い込み谷底に身を投げてしまう。沢市のお里への愛であった。本気で自分の視力が回復することを信じていなかった。谷底に死に絶えた沢市を見たお里は、念仏を唱えながら死のダイブを試みる。その時、観音の霊験によって、沢市はラザロの復活さながら生き返り、目も開かれる。観客は完全燃焼する。同じ浄瑠璃でも曽根崎心中とはえらい違いだ。
イエスは、中風の人に、「あなたの罪は赦される」と言った。罪の赦しは、中風の快癒とセットであった。中風の人は、その言葉を沢市同様に信じなかったであろう。沢市は、自らの死を選んだ。中風の人も身動きの出来ない体を捩(ね)じり捩(よじ)ったかも知れない。そこまでやらないで欲しい。衆人環視の中で恥をかきたくない。そういう思いを抱いたも知れない。しかし、お里や中風の男を運んできた四人の男たちは、心から霊験を信じていた。
壺坂霊験記は、明治維新から十年を経ずして創作された。政府が強権を発した廃仏毀釈に軽率な支持者が寺院や仏像の破壊者として加担した。文化財が薪にされた。その時、カファルナウムの霊験が壺坂の片田舎にも現れた。無垢な人々の苦々しい思いが大衆芸の形を借りて癒されたのであった。
奇跡や霊験が有ると言うな。無いとも言うな。それしか求ざるを得ない程に切羽詰まった隣人の存在を身近に感じているか。
それを、自らに問うてみよとイエスは迫る。




第62回 2022年3月20日午後5時 受難節第3主日 

『フランシーヌ 3・30』 マルコよる福音書8章31?36節
  
「図書館は、ここをまっすぐですか。分からんのよ」。『まっすぐ』と『分からんのよ』に独特な抑揚がある。母の郷里の言葉である。松山から出て来たと言う。烏丸車庫近くの下宿に来いという。一昔前の芸能雑誌を切り抜いたようなレースのカーテンやぬいぐるみのある部屋だった。『ノルウエーの森』の茶番を感じた。ギターがあった。フォークソングが好きだと言う。彼女のリクエストに応じて何曲も歌った。指使いの難しいB♭の特訓もした。コーヒーが出て来た。ミルク饅頭の母恵夢(ポエム)も出て来た。一人暮らしの女子大生の部屋に男子学生が遊びに来る。深夜ラジオで聴いていた都会暮らしの自由が手中にある。妄想以外のなにものでもない。余りに楽しそうにするので、気軽に一人暮らしの部屋に人を招いてはいけないと“説教して”最終の市電に乗った。
彼女は反戦集会でフォークソングと出会ったらしい。ギターと平和運動はセットであった。教育県で育った彼女にはリベラルな目で世界を見ることが新鮮だった。同時に、そこに集う学生たちのファッションに気後れも感じていた。『分からんのよ』を切っ掛けに図書館で出会ったヒッピー風の男子は彼女の妄想を頂点へと導いた。ところが、皮肉にもその男子は、学園の喧騒を嫌って伊予の祭りや習俗の探訪に熱を上げていたのだが。
「フランシーヌさんは、なんで死んだんじゃろね。キシモト君」。ポエムが柚子餡の一六タルトになっていたが、インスタントコーヒーの不味さに変わりはなかった。1969年三月、彼女の理解を超える出来事があった。フランシーヌ・ルコントという女子大生がビアフラの飢饉に抗議してパリの路上で自らの身を炎に包んだのだ。事件は、『フランシーヌの場合』というヒット曲にもなった。♪3月30日の日曜日、パリの朝に燃えた命ひとつ、フランシーヌ♪ 散文にメロディーが付いていた。焼身自殺とメディアは報じた。「ベトナムのお坊さんがガソリンを被って戦争に抗議したことが頭にあったからじゃろね」。「ふーん、そうかねえ」。「分かるように言うちゃるけん。信心深いウサギさんが、お腹を空かした旅のお坊さんに自分を食べてもらおうと焚火の中に飛び込んだようなことじゃなかろうか」。
ベトナムの僧侶も焼身自殺と報じられたが、文化人類学を齧る者としては強い違和感を感じていた。一番の執着である自らの命を焼き尽くすことはホトケの教えではないか。新聞は、炎に包まれた僧侶の法悦を画像付きで報じたではないか。『また福音のために命を失う者は、それを救うのである』。ベトナムの僧侶も十字架のイエスも、怖いもの見たさに取り憑かれた衆愚の戯れに慈悲と愛をもって耐えた。イザヤが叫ぶ。『そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた』。彼とはだれか。それを、自らに問うてみよとイエスは迫る。          
フランシーヌの死を悼んだ20歳の頃(1970年)



第63回 2022年4月17日 復活節第一主日 センター教会開所式

【奨励要約&就任挨拶 】 ヨハネによる福音書20章1〜6節 

「センター教会って、円を描くコンパスの針の先ちゅうことかいな」。
「ちゃいまっせ。この伝道所は、あなたの教会がセンターやちゅうことを言いたい。もっと言うと、あなたの人生が、この世の隅っこにあってならんちゅうことを言いたいのや」。「なるほど、キシモトさんらしい言いようやな」。
墓の石が転がされているのを見て、何事ぞとマグダラのマリアは、シモン・ペトロのもとへ走った。シモンは俗名。ペトロはホーリーネーム。この表記は興味深い。
もう一人は、バンドマンたちの坊やのような
存在で名を伏せたヨハネ。墓にはペトロを出し抜いて到着した。しかし、それより先は、ペトロに控えた。
『京都教区センター伝道所』は、このヨハネのいじらしさを大切にしたい。ペトロは、教区内の諸教会・伝道所をイメージしている。筆頭弟子の体力を補う坊やのような働きを期待されたく願う。そのような『ふとした思い付き』、あるいは、『荒唐無稽な妄想』が生かされる余地が、プロジェクトの坊やたちにあるような気がしている。  
あなたのセンター教会へ、寄ってらっしゃい。見てらっしゃい。

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京都教区センター伝道所開所に至る経過報告

京都教区センター運営小委員会
京都教区センター教会プロジェクト  菅 恒敏 


2008年2月に日本基督教団は、それまで各教区センターに貸与していた土地・建物を譲り渡し、その運営管理を各教区に任せるとする指針を示し、2010年4月を期限として、各教区としての対応を決定するよう要請してきた。これを受けて、京都教区は2009年度総会以来、一般社団法人の設立などその対応策の検討を進めてきたが、その間に法人が同じでない団体間での土地・建物の移譲については、受贈益に伴う税金が高額になることが判明し、対応策を決めるまで暫くの時間を要することとなった。 

よって、2013年度総会において、京都府内にある宗教法人格を持つ教会に教区センターの土地・建物を移管することが決議され、その移管先教会として、かつて社会福祉法人格を持つ他団体の支援を受けて児童館を設立した経験のある京都教会が候補先としてあげられた。
 2014年度総会では、京都教会を土地・建物の移管先として、10年後を目処に京都教区センターに教会を設立し、宗教法人格を取得することにより、京都教会に移管した土地・建物を京都教区センター教会に再移管する案が可決された。

2014年度の教区センター教会設立の総会決議を受けて、2016年4月より教区センター礼拝室において、教区センター運営小委員会の主導のもと、教区の信徒・教師の協力により、毎月1回の礼拝と懇談会が始められた。この礼拝は毎回20〜25名の出席者数があり、また礼拝後の懇談会では他教会員同士の交わりを深めるとともに、京都教区センター教会の将来展望について有益な話し合いの場ともなった。

2020年度に入って、コロナ禍により通常の礼拝(対面礼拝)は出来なくなったが、その間も2022年3月に至る迄、オンライン配信による月1回の礼拝が守り続けられ、2016年度より6年間に亘って行われてきた礼拝・懇談会などの活動を通して、伝道所開所の準備体制が整えられてきた。
2021年度の総会で、機が熟したとして京都教区センター伝道所の開所が決議された。この決議を受けて、以下に述べるように、伝道所開所の本格的
な準備が進められた。

その一つは、2021年4月より、岸本兵一教師(大住世光教会・泉伝道所主任担任教師を兼務)が専任教師として与えられ、伝道所開所に際しての柱が据えられたことである。次いで、今まで教区センター運営小委員会の主導により教会運営が成されてきたが、これを有志信徒による運営体制に移行させるために、客員協力信徒の募集の呼びかけを行うこととした。

客員協力信徒の募集に当たっては、京都教区センター伝道所の教会運営の基本理念を明確にするため、京都教区センター伝道所の基本理念・基本方針の設定を行った。これに際しては、先に報告した教区センター教会の礼拝に行った20数回に及ぶ懇談会「センター教会の設立に望むもの」で提案された多数の意見をKJ法でまとめて、「この地に教会を立てよとの神の声に聞き従う」「既存の教会像に制約されない柔軟性・ゆるやかさを大切にする」「弱い立場にある人たちや教会に寄り添い、共に歩む姿勢を大切にする」などを基本理念とした。この理念の目指すところは、京都教区センター教会が、主のみ栄えを世に現していく器として、絶えず視点を外に向けて、教会と教会、教会と地域を結び合わせ、教区内教会の働きに資するものとなることである。

さらには、将来に亘って京都教区センター教会の立ち位置を明確にしておく必要から、教会運営に関わる事項につき京都教区と相互に覚書を交わす準備をも進めた。


このようにして、伝道所開所のための準備万端整い、私たちはこの日に至るまで、多くの方々の協力があったこと、そして備えた給う主のみ旨に感謝しつつ、2022年3月20日に教団に京都教区センター伝道所開所承認申請書を提出し、本日の開所式を迎えることが出来たことを、大きな喜びと希望をもってここに報告いたします。そして、皆さまがこれからの京都教区センター伝道所の歩みを見守り、主の祝福をお祈り下さることを願っています。
                            


第64回 2022年5月15日午後5時 復活節第5主日


『繋がって、いない』 ヨハネによる福音書15章1〜5節 

「慈善事業に、少ないけど寄付したんや」。「そんな金あるんなら、養育費はらえよ。娘が泣いとるぞ」。客がどっと沸く。夫の浮気が原因で離婚した夫婦漫才の際どいネタである。ミヤコ蝶々に南都雄二、京唄子に鳳啓助のコンビも夫の浮気が原因で別れている。それでも、夫婦を演じた。客の好奇心を煽った。「なんか、よう分からんのやけど」。「ぽてちん」。南都雄二も鳳啓助も元妻の鋭い追及にとぼけた。客は元夫の狼狽(うろた)えやしどろもどろに喝采を送った。結婚とはそのようなものだろうか。胸の痞(つか)えとなった。

「あんたやったら、わたしと別れても、せいぜい、わたしに似た安モンのわたしを見つけて来るのが関の山やろね」。「なに言ってんだい。その時になって吠え面かいたって、ボクは知らねぇぞ」。腐れ縁の夫婦は、湿った煎餅を齧(かじ)りながらブラウン管の前で即興漫才を楽しむ。漫才の夫婦は舞台が終わるとそれぞれの家に帰る。片や一人暮らしのマンションへ。片や面白くも何ともない普通の家族のもとへ。演芸館や放送局だけがふたりを繋いでいる。そのような関係に耐えられるだろうか。元他人が元他人に戻っただけだろうか。人前では番(つがい)であっても互いが存在しないのである。

ぶどうの木とそれに繋がるぶどうの実が神と人間の豊かな関係を示すとイエスは言う。西洋には、神の加護を得て家が子々孫々に栄えるようにとの願いを込めた『ぶどうの房』という名字があるらしい。神に繋がっていなければ祝福は無い。繋がっていなければ枯れる。棄てられる。そのメカニズムを知って入るはずの聖書の民が異なる神と同棲を始めてしまった。繋がりは絶たれ、捕囚の憂き目が世代が変わるほどの期間の罰となった。イザヤは言う。「何か、しなかったことがまだあるというのか!」。民は答えを失った。「なんか、よう分からんのやけど」。「ぽてちん」。

九尺二間の夫婦茶碗の繋がりが、底の見える飯櫃(めしびつ)から陽の当たる人生の晴れ舞台を約束する。神と契約を結んだ民もイエスに心を裸にされた人々も、ぶどうの木に繋がって豊かな実を結ぶことを求められた。祝福が約束される。しかし、そのぶどうの木は、可視的なものではない。『繋がっていない』のではなく、『繋がって、いない』のである。


あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、
あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。(マタイ18:18) 
ぶどうの木ならぬ、つるばらが咲きました。      




第65回  2022年6月19日  聖霊降臨節第3主日


『駅の空耳(そらみみ)』  使徒言行録 4章19〜22節 

「漕げ、漕げ、漕げよ、ボート漕げよ」。空耳と言われているものだ。初めて行く教会だった。駅の待合室で時間調整をする。不安な時、どこからともなく聞こえて来るマイメロディーだ。聞いたと言うより声を出さずに頭で歌ったというのが適切だろう。後の歌詞が続かない。無いのかもしれない。「漕げ、漕げ、漕げよ、ボート漕げよ」。長くこの歌はマザーグースの一節だと思っていたが、大道芸に端を発する民間伝承歌だと知った。英語の元歌は、『川の流れに逆らわず愉快にボートを漕げ。人生は夢にすぎないのだ』とある。人生は、鯉の滝登りではない。愉快にやれ。流れに身を任せろ。付き合い程度にオールを漕げば良い。人の人生に大差はない。夢に過ぎないのだ。今日こそ、脳裏に粘着したマイメロディーに休止符を打つ機会だと思い後に続く歌詞を作った。

漕げ、漕げ、舟を ゆるゆると お前の舟だ お前の舟だ 慌てるな
漕げ、漕げ、舟よ お前と一緒だ いつも一緒に いつも一緒に 仲良しだ
漕げ、漕げ、舟に 夢のせて 辛いことは 辛いことは 忘れたよ
漕げ、漕げ、舟は くだっていくよ 青い海が 青い海が 待っている


金銀、カネの力ではなくイエスの名によって自らの足で歩き始めた物乞い男も空耳に悩んでいた。『漕げ、漕げ』に続く歌詞が思い浮かばない日々を繰り返していた。『美しの門』は物乞いの一等地だ。ショバの確保に心休まる日はなかっただろう。萎えた足が癒され、自分の足で歩くことを拒絶する自分を知った。そのような心の深層があることをペトロたちとの出会いで初めて知った。だから、男は、癒された後もペトロとヨハネに『付きまとった』のである。今、四十歳にして男の人生が始まった。人生は夢に過ぎないキャンペーンから解放された。青い大海原が待っている。もう少しヒントを得たい。ペトロ師匠の付き人、カバン持ちのヨハネの苛立ちを物ともせず、男は、使徒たちのフィールドワークの場にしつこく、付きまとった。



第66回 2022年7月17日 聖霊降臨節第7主日 

 『縮尻(しくじり)』のスパイラル  ガラテヤの信徒への手紙3章1〜6節  エレミヤ書23章36節 
 
「玉ねぎ、そんなぎょうさん使うの、センセ」。「そうや、よおけ使うんや」。夏の中高生キャンプは三泊四日。夕食のメニューは、クリームシチュー、すき焼き、カレーの日替わりである。何のことは無い。玉ねぎ、人参、ジャガイモを砂糖と醤油、シチューやカレーの素で味付けるだけである。すき焼きは、肉じゃがと言えば良かったのだが不評を極めた。名誉挽回は、最終日のカレーである。グループごとにカレーを作る。炎天下に薪を使った調理である。玉ねぎを多量にスライスし、熾火(おきび)でキツネ色に炒める。多量の玉ねぎが凝縮されたペーストになる。そのような調理法に歓声が上がった。
レストランや百貨店の食堂の調理場で大量の玉ねぎをキツネ色のペーストに仕上げるのは見習い仕事である。この作業には根気が求められるが、それ以上に求められるのは誠実さである。玉ねぎをうっかり焦がしてしまった場合、それが、どれほど僅かであっても、その縮尻(しくじり)を報告せずに黙っていることは許されない。米粒ほどの『焦げ』がカレー全体の味を損なうからである。
『ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち』。パウロは、手塩にかけたガリラヤの教会に呆れ果てている。ガラテヤの人たちとは、パウロが第一次伝道旅行で訪れたユダヤ人たちが多く住んでいた南ガラテヤ地方の人たちのことを指す。この人たちは、ユダヤ主義的アプローチに弱かった。『異なる福音』、騙(かた)りグループからの惑わしに免疫がなかった。パウロたちが、忍耐強く丁寧にじっくり炒めたまろやかなペーストのような信徒たちに余計な熱が加わった。鍋底が焦げていた。鍋の中身を全て廃棄しなければならないほどの危機があった。焦げ付きの報告が蔑(ないがし)ろにされていた。
道徳的退廃の極みにあったローマ帝国内にユダヤ教への憧(あこがれ)があった。ヘンコツな集団の持つ清らかさへの敬意である。聖書はそれを『神を畏(おそ)れる人たち』と記している。この人たちは、パウロの説く福音によって異邦人クリスチャンへと導かれる。アブラハムの信仰が割礼儀式を必須としない『新しい創造』を生み出した。その流れに逆行する『異なる福音』とは、『万軍の主の言葉を曲げた』、『“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとする』のことである。擦(こす)っても擦っても鍋を傷つけるだけの黒焦げは、鍋を使う度に、縮尻(しくじり)の連鎖(スパイラル)を思い起こさせる。不定冠詞付きの教会や信徒像への連想を禁じ得ない。わたしもあなたも、それに該当する        




67回 2022年8月21日  聖霊降臨節第12主日

『Oh! Bon! だよ。(パートU) 使徒言行録10章9〜16節 マラキ書3章16節

 「大和郡山の金魚屋とちょっとした知り合いでな、金魚をぎょーさん安うに仕入れて町内の地蔵盆で金魚すくいしてやったんや。そしたら、子どもら、えらい喜びよってな」。町内の世話役が、教授宅にも回って来た。「どうせ引き受けるんやったら町内のもんが目ぇ?くようなことやったろ思うてな」。教授の難解な組織神学の講義は拷問だった。ところが、学生を苛め抜く教授は、町内ではお高くとまっている人ではなかった。「教会やちゅうて、何か偉そうに地蔵盆にいちゃもん付けとうないんや。クリスマス会もやってもらわなならんさかいな」。
 「キシモトさん、あんたギター弾いたり、子ども相手のゲームとか得意なんやろ、夏祭りのステージやってくれんやろか」。近くの寺の跡取りの紙芝居に続いて、真打登場。「ちょっと邪魔するでぇ」とばかりに幼児から中学生まで百名を超える子どもたちを前に慣れたステージを務めた。「おっちゃん、そのギターなんちゅうの」。中学生男子が割って入る。「これはテレキャスちゅうんや」。「ふ〜ん。ええ音するな」。地蔵盆がCSキャンプになった。聖者の行進を文字って『Oh! Bon!だよ」。続いて漕げよマイケル。『ハレル〜ヤ』の大合唱が夏の夜空に響き渡った。「キシモトさん、初めまして。これがパウロの言う福音のために何でやるですな」。町内の隠れキリシタンから声を掛けられた。 
 土地の文化と教会の関係は微妙である。葬儀の場を信仰告白のチャンスとする勘違いがあったりする。「クリスチャンですから、焼香はしません!」。盃を伏せておけばよいだけのものを、素面(しらふ)で泥酔者に変わらない醜態を晒してしまう。その無作法は、やんわりと大人の対応に飲み込まれる。
ペトロもパウロも、福音をユダヤ的伝統とに紐づける妬みの勢力に苦しんだ。The river is deep and the river is wide, hallelujah. イエスの教えは様々な文化との折り合いを求められながら世界に広がってゆく。苦悩するペトロの前に、『あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥』が天から吊り降ろされた。そこには、エビの天婦羅、トンカツ、海鼠(なまこ)の酢の物もあった。その時、ペトロは真の『神を畏れる人』となった。   



68回  2022年9月18日 聖霊降臨節第16主日

がめつい。えげつない。』
  列王記上 21章17〜20節 エフェソの信徒への手紙6章 14〜18節 

 「これは、キフ・ワインです。極上のワインですよ。先生」。お招きがあった。うずらのローストや鹿肉のタルタルステーキに始まりドイツ駐在員時代に習得した奥方特製のケーキなどに一一(いちいち)の説明が付けられる。「キフって寄付のことですか」。新任牧師の頓珍漢が気に障ったらしい。「先生、貴いに腐ると続けて『貴腐』、希少な葡萄から作ったワインの事です」。相槌を打つことを控えた。「そんなもの飲んだら口が腐るわ」。歪んだ思いが腹の底に湧いた。貴腐ワインは、『ワインの帝王・帝王のワイン』などと呼ばれているらしい。葡萄酒は葡萄から造られる。良い畑の葡萄が良い葡萄酒となる。そして、良い環境に温存される。だから、良い物は、そんじょそこらには無い。車一台が買える代物(しろもの)があると聞く。
栄華を極めたソロモンの王国は分裂し衰退の一途をたどる。不毛の砂漠で出会った存在の根源としての神の『在り難さ』を民も王も安酒の酔いに任せ忘却した。『お前には十分なことをしてきたではないか』。神の愛と忍耐は、まさに、貴く、腐った(熟成された)、貴腐であったにもかかわらず、その味わいは記憶の彼方となった。
性根の腐った王がいた。その名をアハブと言う。英語読みではエイハブであるから、メルヴイルの小説『白鯨』に出て来る残忍な船長の名前が思い起こされる。アハブ王は、他人(ひと)の物を異常に欲した。ナボトと言う人の葡萄畑に執着した。そのブランドが欲しかった。ところが、ナボトと言う人はたとえ相手が王であろうと引き下がるような人ではなかった。半分諦め掛っていた王に王妃イザベルが悪知恵を吹き込む。ダビデがバテシバを側室に求めた時に似たような悪辣な謀(はかりごと)がなされた。
王と王妃の前に、神の人、預言者エリヤが遣わされる。他人の物を掠(かす)めることは、神の物を掠めるに等しい。エリヤは神無き時代を信仰に生きた偉大な預言者であった。しかし、その偉大さにはエリヤの家系の皮肉がある。乳と蜜の流れ地、カナン・テリトリーを目前に、民はヨルダン川をまさに渡らんとする。しかし、エリヤの家系、ギルアデのティシュベの者たちは、引き連れた家畜に未練が残りヨルダン川の東に留まる。この先祖の不信仰がエリヤの心の傷となる。『ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤ』。この烙印は何としても払拭されなければならない。
命を懸けて王と王妃の前に現れたエリヤは、『お前の敵を見つけたのか』と恫喝する王と王妃に、『お前たちこそ、犬の餌になる』と言い放つ。   


69回 2022年10月16日 聖霊降臨節第20主日礼拝

『ろくでなし(陸でなし)』
 マタイによる福音書5章1〜12節

「お父ちゃん、それだけは、自分でせんと嫌やねんな」。長い廊下を妻に抱きかかえられるようにしてトイレに向かう。病院が消毒とアンモニの臭いに満ちていた時代である。自力で到底動ける状態ではない。末期患者であることは一目瞭然であった。見舞いに立ち寄った教会員と同室の人であった。それほどの症状なのに大部屋の患者であった。学校帰りの中学生の娘と小学生の息子が来ていた。娘の制服は、草臥(くたび)れた古着のようであった。息子は、十一月の末にもかかわらず半ズボンであった。妻の身なりは言うに及ばない。その人は、次の日、帰らぬ人となった。ベッドを囲む家族の慟哭(どうこく)に胸が締め付けられた。『貧』の一文字が大部屋を支配した。
『こころの貧しい人々は、さいわいである(マタイ5:3』。『貧しい人々は、幸いである(ルカ6:20 )』。このイエスの言葉は、説教者の『地雷』である。清貧の美学に陶酔する信仰者のイメージを作り上げてしまう誘惑がある。ついつい、一丁上がりの偽善に近づいて自爆してしまう。貧しくとも心は豊かであるなどと。もっと酷くは、生半可なギリシア語を持ち出し、『その霊性において貧しい』などと信徒はおろか自身にも分からない講釈を恥ずかしげもなく披露してしまう。擦り切れたセーラー服を身に纏(まと)わざるをえない幼気(いたいけ)ない少女は、説教壇の前にいない。
ルカによる福音書の『貧しい者』というイエスの語り掛けがオリジナルかも知れない。イエスの目は、大部屋で息を引き取った患者の家族に向けられている。貧困の袋小路から抜け出せない人々が、イエスの言葉に聞き耳を立てる状況が理解出来るかと問われている。貧しさが罪であるとされた時代であった。貧者は、ろくでなしと蔑(さげす)まれた。ろくでなしの『ろく』は、水準を意味する『陸』の字が充てられる。酷(ひど)い表現だが、『テード(程度)が低い』などと言い換えれば、その状態の凄(すさ)まじさが伝わるであろう。少女の小汚いセーラー服にその言葉が無神経に投げかけられたとするなら。
『ビンボー人は、救いようがある』との大胆な翻訳もある。英語やドイツ語を持ち出さなくても、貧しい(poor)という言葉には遜り(へりくだりhumble)のニュアンスがある。分量が少ないの意味もある。驕(おご)り高ぶりに肥え太った傲慢(ごうまん)などを持ちようにも持てない人たちに、命のパンが約束される。   ハロウインにはお菓子がもらえるそうだ。  


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